根尾能郷の里
03.04.13

海抜1617m能郷白山の頂を望み日々を暮らす根尾能郷の里。氏神白山神社・淡墨桜・淡墨温泉ともR157国道をひたすら北へ北へと。まわりに1000m級の山々が聳え立つ頃に家々が目だってくる。素晴らしい自然が沢山の里に辿りつく。峠の温見峠を越すと福井大野市へと続きます。
山の頂にはまだ雪残る春に念願かなって能郷の能・狂言を見る事ができて嬉しかったのと、守り続けてこられた村の方達に敬服の念を抱かずにはいられませんでした。


上段↑ 八島 右→狂言 宝槌
演目 平成15年4月13日(日)
能 式三番    狂言 百姓狂言
能 難波      狂言 宝槌
能 八島(屋島) 狂言 なぞ狂言
能   羅生門
シテもワキもすべて地謡が受け持ち装束をつけ舞台に立つものは、一切の謡を行わず、『摺り足』も身振りをするだけです。狂言の所作・節回しが、素朴で飾り気が少なく古風。現行曲目の300番にもないものも能郷には伝えられている。全国に残る古い形の能(山形県黒川能・静岡県はね能)と根尾能郷の能狂言で、能面16面・狂言面4面の計20面を保存。
movie羅生門をご覧下さい。
能郷の祭礼は毎年4月13日に限り上演される。本来は篝能で夜間に行われたが、大正初期隣区長島の発電所工事で多くの人夫が他所から流入したため、危害発生を憂い昼間に変えて以来現在に至る。昭和30年('1955)京都大学猪熊教授によって価値が見出されるまでは衰退の一途だったが、昭和33年('1958)4月23日岐阜県重要無形文化財に指定されるに及ぶ。昭和51年('1976)国重要無形民族文化財の指定を受けた。その昔の舞台は組み立てで二間四方。昔の人は猿楽殿と呼んでいたという。舞台後ろに門入りの幕を張り、幕の後ろが楽屋になる。向って左手に橋懸り(花道と呼ぶ)があるが、出入りに使うだけで此処での所作はない。現在左上の絵のように立派な舞台が建てられている。(根尾村パンフレットより)

能郷白山から出る水は下流の我が家の水源ともなり清水の美味しさでは全国に銘打っても良いかとも思われます。里は可愛い花や野草・人情の温かさを感じた良い一日でした。
幾本もの支えに守られ淡墨桜の根幹に1500年もの歳月を感じずに居られません。根元に観音様が宿っているようです。上部3枚淡墨桜・下真ん中淡墨桜2世・右端淡墨公園
能郷白山が霧にかすみ雪解けの水が浪々と流れ、池の鯉・地・木々も潤い新しい芽吹きを見せてくれています。山に入る人はしっかり届けを記入。地元の枝垂桜・道路沿いに咲き乱れる桜など大いに楽しませてくれた根尾R157旅。

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