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■■ 北光第146号投稿原稿 ■■

【2010/05/23】
 H59大根がとりまとめ、北光第146号(北光寮特集号)に記載された投稿記事の内容を掲載します。


北光寮での思い出

昭和59年入寮生代表 大根(HS63,HS65院)

 北光寮が正式に閉寮すると聞き、いよいよその時が来たかと非常に残念に思っています。
 閉寮式典に20名以上の同期が集まった我々59年度入寮者の中から北光への投稿話が持ち上がり、私が代表執筆する事も考えましたが、共に暮らした北光寮での思い出は卒寮生一人ひとりが今も人生の糧としており、投稿文としては少し風変りかもしれませんが59年度入寮同期の寄書きと致しました。(順不同、敬称略)

閉寮と聞きようやく新寮かとの想いと、閉寮要因のひとつが耐震強度不足でその数値にびっくり。数々の地震に耐えた「我寮」にお疲れ様。(篠原)
北光寮の素晴らしさは、残念ながら、友達も、妻も子供さえもわかってくれませんが、経験したものにしかわからない素晴らしさがそこにありました。(安藤)
『えらい所に来てしまったなー。』というのが初日の印象。1年経ち、2年経ち、結局卒業まで。(金井)
春 桜のつぼみも無い木の下で騒ぎ、夏 店をでると空が明るいことに驚き、秋 行楽地での鍋に舌鼓をうち、冬 階下から響くスチームの音かと思ったら…(黒田)
寮が各自の潜在的なものを引き出したであろうし、卒業後いざとなっても緊張感への対峙、踏ん張る勇気を備え付けてくれたのではないかと思います。(加藤)
当時は慣れてしまっていたけど、久しぶりに見たら良くこんな倉庫みたいな所に住んでいたなぁ〜。(小野)
社会に出てからの身の処し方、生き方、人の情け、感謝の気持ちなど、寮生活で得たもの数多し。あの頃、秋田の曇り空に佇む北光寮で皆と出会い苦楽を共にしたことは一生忘れません。(相山)
毎年、花見の季節になりニュース等でお花見風景をみる度に千秋公園とリヤカー出動を思い出します。(美濃)
当時を振り返ると未だに昨日の事のように色々な楽しい場面があふれでてきます。このような4年間を与えてくれた北光寮、そしてめぐり合った仲間に感謝。(菊地)
部屋子三原則は「掃除、水汲み、食器洗い」。部屋長三原則はありませんでしたが「飲ませる、つぶす、介抱する」でしたね。(早矢仕)
その後秋田とは疎遠で当時のことはかなり忘れていますが、豊かな時代に未熟な18才(+α)だからこそできた貴重な経験だったと思います。(磯)
数々の貴重な経験、すばらしい人間関係、楽しい思い出は、私の宝物です。北光寮寮歌の歌詞を噛み締めています。(小川)
北寮4階に4年間。それなりに辛く、楽しく。今でも、寮の夢を見る。世間知らずに世の中の作法を教えてくれる、今思えばありがたい場所でした。(堀籠)
一年:ゴミ、二年:石ころ、三年:人間、四年:神様なんて言われてましたな。しかし当時は人間も神様も怖かった。(土居)
秋田で生まれて大学卒業まで、社会に出る最後が北光寮でした。すばらしい仲間と出会えて、すばらしい(?)経験が出来た事に感謝!!(工藤)
北光寮は3月末に取り壊しされるのかなあ。そのまま存在してくれたら、皆で買い取って定年後のOB養老院ができるのですが。(野崎)

 皆が様々な思いを持ち巣立っていった北光寮との別れは寂しいですが、日本全国から集まった仲間(先輩、同期、後輩)と共に青春時代を過ごした北光寮での思い出はこれからも皆の心の中に刻まれ続けると確信しています。
 “友を結びつけた北光寮よ、ありがとう!!”